駅の裏手の施設に用があって、ふつーに線路を越えた。
徒歩でも20分くらいの場所。
駅裏はよくわからんけど、行ったことのある場所だから道も分かってた。

せやけど走れど走れど知った道や建物に出会わん。
戻ってみるもどこだか分からなくてぐーるぐる、
(は?近所やろ? ナビるまでもないっしょ! と焦りはなかった)
観念してぐーぐるまっぷすを召喚したら、隣市の果てだった。
ふあっ?!って声が出た瞬間。
わたしはこの地元にまるで興味も愛着もない。
だから住んでいるこの街のことを何も知らない。
道も知らなければ評判の店も知らないし
カスカベーで飲むこともないから飲み屋もラーメン屋も知らない。
まだ都内のほうが、住んだことがなくとも愛着ある街はいくつもある。
生まれ育った故郷の街を巣立った日のように
京都の山科を友人に見送られて出た日のように
初めて住んだわたしの中の "TOKYO" 川崎の街を出た日のように
いつかこの街を出る時も、
メランコリックに浸り涙を零すものなのだろうか。
徒歩でも20分くらいの場所。
駅裏はよくわからんけど、行ったことのある場所だから道も分かってた。
せやけど走れど走れど知った道や建物に出会わん。
戻ってみるもどこだか分からなくてぐーるぐる、
(は?近所やろ? ナビるまでもないっしょ! と焦りはなかった)
観念してぐーぐるまっぷすを召喚したら、隣市の果てだった。
ふあっ?!って声が出た瞬間。
わたしはこの地元にまるで興味も愛着もない。
だから住んでいるこの街のことを何も知らない。
道も知らなければ評判の店も知らないし
カスカベーで飲むこともないから飲み屋もラーメン屋も知らない。
まだ都内のほうが、住んだことがなくとも愛着ある街はいくつもある。
生まれ育った故郷の街を巣立った日のように
京都の山科を友人に見送られて出た日のように
初めて住んだわたしの中の "TOKYO" 川崎の街を出た日のように
いつかこの街を出る時も、
メランコリックに浸り涙を零すものなのだろうか。